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Carl Sagan
RES
2010-05-24
3年次編入で物理学1を受講している者です。
先生が講義で話された、首を伸ばす機械を使用したときに感じる
力の向きについて、私の意見があります。
首は上に持ち上げられる力を感じて然るべきであるところを、
下にひっぱられるような力を感じるとのことでした。
私の意見は以下の2点です。
1。人は自分を中心として、つまり力を受けるでなく、与える
として、運動をとらえることがデフォルトではないか?
2。アルキメデスの運動論(運動している物体には、その物体が
運動している向きに力が働いているという考え)は、ほとんど
すべての人にはじめから備わっている考えかたではないか?
上記2点が真であれば、先生が感じた首が(あごが)下に引っ張
られるという考えも当然の帰結といえると思います。
追記。これは質問とはいえません。この掲示板に不適であれば、
削除いたします。次回は、あるQUIZについて質問させていただき
ます。
3年次編入で物理学1を受講している者です。
先生が講義で話された、首を伸ばす機械を使用したときに感じる
力の向きについて、私の意見があります。
首は上に持ち上げられる力を感じて然るべきであるところを、
下にひっぱられるような力を感じるとのことでした。
私の意見は以下の2点です。
1。人は自分を中心として、つまり力を受けるでなく、与える
として、運動をとらえることがデフォルトではないか?
2。アルキメデスの運動論(運動している物体には、その物体が
運動している向きに力が働いているという考え)は、ほとんど
すべての人にはじめから備わっている考えかたではないか?
上記2点が真であれば、先生が感じた首が(あごが)下に引っ張
られるという考えも当然の帰結といえると思います。
追記。これは質問とはいえません。この掲示板に不適であれば、
削除いたします。次回は、あるQUIZについて質問させていただき
ます。
はぎわら
2010-05-26
おもしろい問題提起をしてもらったので、コメントしてみます。
> 1。人は自分を中心として、つまり力を受けるでなく、与える
> として、運動をとらえることがデフォルトではないか?
そうなのかも知れません。したがって、Newton以前の誰も、力を定義することも、測ることも、式に表わすこともできなかったということなのでしょう。
ただし、この流儀では、「力」は筋肉の活動感覚と結びつくものでしょうけれど、首の牽引機の動作中には、このような能動的活動感はありません。つまり、自分が「力」を発揮しているような感覚は無いのです。これは感じ方の問題なので、論理的議論や説得をするのはナンセンスと思いますので、あなたなりの感じ方を是非体験してみて下さい。
> 2。アルキメデスの運動論(運動している物体には、その物体が
> 運動している向きに力が働いているという考え)は、ほとんど
> すべての人にはじめから備わっている考えかたではないか?
英語の「force」というのは強制するという意味ですね。運動について言えば、位置を強制するか、動く向きを強制するか、ですが、いずれのとり方もNewton力学の理解の妨げになってしまいます。
日本語の「力」は、人の持てる能力の意味あいが強いですね。重い石を持ち上げる力とか、喧嘩で相手を組み倒す力とか、、そのあたりが出発点なのでしょう。これも、原因の側に意識をおかないNewtonの発想とは対極的です。
さて、そこまで考えたとしても、あごにかかる重み感覚は意外です。力は、発揮するものでも、感じるものでもないというNewtonの発想に近づくヒントを見るような気がします。
おもしろい問題提起をしてもらったので、コメントしてみます。
> 1。人は自分を中心として、つまり力を受けるでなく、与える
> として、運動をとらえることがデフォルトではないか?
そうなのかも知れません。したがって、Newton以前の誰も、力を定義することも、測ることも、式に表わすこともできなかったということなのでしょう。
ただし、この流儀では、「力」は筋肉の活動感覚と結びつくものでしょうけれど、首の牽引機の動作中には、このような能動的活動感はありません。つまり、自分が「力」を発揮しているような感覚は無いのです。これは感じ方の問題なので、論理的議論や説得をするのはナンセンスと思いますので、あなたなりの感じ方を是非体験してみて下さい。
> 2。アルキメデスの運動論(運動している物体には、その物体が
> 運動している向きに力が働いているという考え)は、ほとんど
> すべての人にはじめから備わっている考えかたではないか?
英語の「force」というのは強制するという意味ですね。運動について言えば、位置を強制するか、動く向きを強制するか、ですが、いずれのとり方もNewton力学の理解の妨げになってしまいます。
日本語の「力」は、人の持てる能力の意味あいが強いですね。重い石を持ち上げる力とか、喧嘩で相手を組み倒す力とか、、そのあたりが出発点なのでしょう。これも、原因の側に意識をおかないNewtonの発想とは対極的です。
さて、そこまで考えたとしても、あごにかかる重み感覚は意外です。力は、発揮するものでも、感じるものでもないというNewtonの発想に近づくヒントを見るような気がします。
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