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Carl Sagan RES
2010-05-24
3年次編入で物理学1を受講している者です。

先生が講義で話された、首を伸ばす機械を使用したときに感じる
力の向きについて、私の意見があります。

首は上に持ち上げられる力を感じて然るべきであるところを、
下にひっぱられるような力を感じるとのことでした。

私の意見は以下の2点です。

1。人は自分を中心として、つまり力を受けるでなく、与える
として、運動をとらえることがデフォルトではないか?
2。アルキメデスの運動論(運動している物体には、その物体が
運動している向きに力が働いているという考え)は、ほとんど
すべての人にはじめから備わっている考えかたではないか?

上記2点が真であれば、先生が感じた首が(あごが)下に引っ張
られるという考えも当然の帰結といえると思います。

追記。これは質問とはいえません。この掲示板に不適であれば、
削除いたします。次回は、あるQUIZについて質問させていただき
ます。
2011/03/21(月) 05:29 No.13 EDIT DEL
はぎわら
2010-05-26
おもしろい問題提起をしてもらったので、コメントしてみます。

> 1。人は自分を中心として、つまり力を受けるでなく、与える
> として、運動をとらえることがデフォルトではないか?

そうなのかも知れません。したがって、Newton以前の誰も、力を定義することも、測ることも、式に表わすこともできなかったということなのでしょう。

ただし、この流儀では、「力」は筋肉の活動感覚と結びつくものでしょうけれど、首の牽引機の動作中には、このような能動的活動感はありません。つまり、自分が「力」を発揮しているような感覚は無いのです。これは感じ方の問題なので、論理的議論や説得をするのはナンセンスと思いますので、あなたなりの感じ方を是非体験してみて下さい。


> 2。アルキメデスの運動論(運動している物体には、その物体が
> 運動している向きに力が働いているという考え)は、ほとんど
> すべての人にはじめから備わっている考えかたではないか?

英語の「force」というのは強制するという意味ですね。運動について言えば、位置を強制するか、動く向きを強制するか、ですが、いずれのとり方もNewton力学の理解の妨げになってしまいます。
日本語の「力」は、人の持てる能力の意味あいが強いですね。重い石を持ち上げる力とか、喧嘩で相手を組み倒す力とか、、そのあたりが出発点なのでしょう。これも、原因の側に意識をおかないNewtonの発想とは対極的です。

さて、そこまで考えたとしても、あごにかかる重み感覚は意外です。力は、発揮するものでも、感じるものでもないというNewtonの発想に近づくヒントを見るような気がします。
2011/03/21(月) 05:32 No.1 EDIT DEL
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